伝統と革新と

なんだか使い回された安っぽいタイトル、そう書きたいだけではないかと思われそうですが。

奈良にすごく美味しい和菓子屋さんがあります。カウンターで寿司を食べるように和菓子を食べる。

店主自ら北海道の雪の中に生えてる百合根を取りに行くんだとか。そういうものをフルコースのように食べさせてくれる。

曰く、和菓子は昔は今ほど美味しくなかったと思う。伝統を守っていたら、和菓子屋は潰れます、と。

だから伝統の作り方だとよく練るところを、ほとんど練らずに、それどころか触れる回数を極力減らして作り上げる。触れれば触れるほど、和菓子は不味くなる。そして、伝統とは常にアップデートすることだと言う。

確かに書も”伝統を守る”ということだけだったら、書聖 王羲之しかいなかっただろう。

米芾も懐素も王鐸も生まれなかった。(今思ったのだけど、MacのOS 賢いね。彼らの名前、すぐ変換出てきた。)

しかし彼らのおかげで書道史は豊かだ。

米芾が、王羲之を守っていたか?狂書の懐素は自由を謳歌してないか?王鐸は反抗してないか?

王羲之後にどうするか、みんなが考え自分なりの表現、理を残していった。

王羲之が偉大であればあるほど、大胆に変更するしかなかった。

そういうことが繰り返されて歴史ができている。

伝統とは、自分も同じようにすることだと思っている。

 

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